TheBOX

箱一杯の記憶

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ほめられるとダメになる

褒められるとダメになるタイプ。高校で初めて実感した…というか高校で急にその辺りの捉え方が変わってしまった。自分で見て嫌になるが、いいね!と言われるとそこで突然妥協してしまう。「ほめられると伸びる」が一般的な感情というか考え方だと思うが、どちらかというと治すべきところをより指摘してくれる方がこちらとしてはやる気が出やすい。負けたくないライバルがいるほうが燃える感覚と近いだろうか、必要最低限できていると認められたいと努力するほうが合っているというか。

一般的に大体褒めたら伸びるという認識だから相手は褒めてくる。褒めてくるのを止める事は殆ど不可能だ。

回避策としては、とりあえず褒められたことを「敢えて」書き出して、心のストレスにならない程度に伸ばせるように意識することくらいか。逆にできない感じに書き出して伸ばしていく様に書くというのはまたアリかもしれない…。

一旦これで実行してみて、また数ヶ月した後にダメだったら見直してみよう

しゃかいじんになった。

社会人になって一週間、研修が続く。
コロナ禍であることもあり、オンラインでの研修。入社式もオンラインだった為実感がふわふわと宙を浮いていたものだが、実際にオフィスに資料などを取りに行って同期と初めて会ったときやっと実感が出てきたくらいだ。
敬語のレクチャーを受ける。インターンでほんの少しだけ独学で色々調べたことはあったけど、「申し伝えます」だの、「失礼ですが」だの…。確かにビジネスシーンじゃよく使っているのはちょっと聞いたことはあったけど、インターンとかではその辺りはかなり緩めで全く使わなかった。実際に自分の口から言うというのは全然違う。
情報を正しく読むとか、情報を相手に伝わりやすく要約をしてかいつまんで伝えるとか。ロールプレイングでこんな大変なのに実務になったらどうなるやら。場数こなして失敗しながらも慣れていくのかなとかも考えたりする。
趣味の時間が想定していたとおり本当に時間が取れない。絵を描くか、動画作るか、少しゲームをするか。趣味も計画的にすることになるとは…というのが実際になってみての感想。多趣味はつらいね。

で。
ここまでプヨグヤマーの事やってないわけだが…普通に社会人として知ること多すぎて「仕方ないよな〜」という感想が出てくる。来月無い腕が更に鈍っていそうでこわいな。
あとここまで書いてアレだが、社会臭はあまりインターネットでは匂わせたくないので気をつけたいんじゃあ〜

じぶんの認識のこと

最近自身の認識について大分落ち着いてきた。一時期すごく悩んでいたのでちょっと書き留めておきたくなった。

その性別らしさを求められる事が多くある。まあ、「世間一般」的に考えていけばそういう発言が出るのは至って普通だし別にいいんじゃない?とも思う。でも、私には私の認識をしっかり持っておく。で、相手に「個人的に」触れられることがあったらそれについて話す。それくらいでいいんだ。広く認知されなくていい。ふわっと知ってもらっておけば私はそれでいい。それを私は望んでいるんだろうと最近は思っている。

「異性に魅力を感じることはあるか?」親からのこういう話が増えた。子のそういう話は親だから敏感になるし気になるのは仕方ない。でも私はどうも異性にも同性にも、身近な人に最近魅力を感じることがない。そもそもそういう願望が無い。どうしてこうなったのか私もよくわからないけど、こうなってしまったものを無理矢理好きになろうとするのも毒だろうし現状このままでいいだろう。そう思っている。

現状も置いておこう。なんだっていい。いつだって自分らしくありたいものだ。

anone.me

"ひとりぐらし"って何だ

一人暮らししなしなくては…と最近より思う。社会人になるということ、自分のことを自分でする。この単純なことが未だにできないのは、結局実家の環境に甘えているからなんだろうなあ。そう思っている。思っているだけで行動することができない。

追い詰められて初めて動くタイプだというのはわかっている。そういう状況に持っていくのは矢張りまず家を出るしかない。家にいるままじゃどこか甘えが出かねない。多分。何をするにも中途半端なのはどこかそういう気持ちがあるんじゃないかなって思ったり。

コストを考えればもちろん実家のほうが一番いい。でもこのままでは駄目だ。一旦ここで出ておかないと、本当に自立のタイミングを見逃しかねない。コロナでずっと自宅にいることが増え、最近ますますそう感じる。ただ、今出ることはできない。バイトだけじゃどうしても収入が心許なすぎる。なんとなく学費を払ってもらっている以上、それ以上家賃出させるのはちょっと私の気持ち的に良くない気がする。

あと一人暮らししたいというもう一つの理由として、私が家を出ることで親の余計な負担が減るならそれのほうがいいな、とも思っている。迷惑な行動しなくちゃいいじゃないかという声も聞こえてくる気がするが、どこかしらの部分で甘えが出てしまいかねないから。コレも甘えか?何か良いのか分からない。

多分私は、大幅に環境変えて自分の気持ちを社会人としての意識に切り替えたいんだろうなって思う。今まで"苦労"をしてこなかったぶん、"苦労"しないと成長できない気もする。でも実践しなくちゃ分からない。どうなるだろう。予測できない。うまくいくのだろうか、破綻するだろうか、果ては結局外部に甘えてしまうのだろうか。

Twitterを見直す

よくわからないけど最近Twitterを使わなくなった。あれだけアカウントを立てて、あれだけツイートして、あれだけ空リプでおしゃべりしたあの頃ってなんだったんだろう。みんな各々の人生をたどって、みんなばらばらになって、みんなもTwitterに張り付くことがなくなった。いつもタイムラインに居た人は偶にぽつぽつとツイートするようになった。他の界隈も同じ様なものなのだろうか。

私がハマっていた当時のTwitterは国政や情勢、エンタメについてあまり話題が入ってこず、出てくるトレンドはゲームかアニメがメイン。似たような気質のひとがたくさんいて、いつもタイムラインには誰かがツイートをしていて、大きくて小さなチャットルームのような場所だった。誰かが知らない見えない誰かと空リプでやり取りしている姿も含めて楽しかった。

多分こうなったのはTwitter側の仕様変更も大きく関係しているんだろう。まず、チャットルームのようなリアルタイム性がなくなったのが大きいのかな、と私は考えた。ホームは時系列にそぐわないツイートが上位に出てくるようになり、誰かがお気に入りにした(いいねした)ツイートが流れてくるようになり、広告の頻度が明らかに上昇し、チャットルームとしての空間はほとんど失われた。かろうじて最新ツイートタイムラインが残されたが、こちらも広告ばかり。サードパーティのアプリで見ようものならAPI制限に加えてストリーミング機能の撤廃。兎に角チャット目的としては使いづらくなってしまったのだ。

サービスは成長し、求められているものに対して適応し変わっていくもの。私のような少ない割合のユーザーのニーズに答えるよりももっと一般向けのような、儲けられるものに対して適応していくのは会社を回していく上では仕方のないこと。だから私は、Twitterから完全撤退を目論んだ。

でも、未練があった。それまで数年にわたって培ってきたコミュニティを、完全に無に返すのが憚られた。私がTwitterで出会ってきたユーザーは基本的にTwitterにしかいない。そりゃそうだ。Mastodonにいる人はMastodonにしかいないのと同じ。でもTwitterではもうほとんどコミュニケーションというコミュニケーションは取っていない…。色々と考えた挙げ句、結局の所Twitterにもう中身のない空っぽ同然のアカウントだけを置いておく…放置して置くという形になってしまうのだ。

自信を付ける力

最近、自分に適度な自信を持てるようになったと思う。自分のブログを見返すと、それをより顕著に感じる。

とはいえ結構直近までは、自分にそこまで自信が無かった。ターニングポイントは、意外にも就活であった。大学に入学してから目標を追いかける為に積み重ねた努力が実ったとも言える。今までやってきたことを初めて会った採用担当さん…即ち全く知らない人にアピールして、それが認められた時に自分の中の世界が大きく変わったと思う。視野が開けていった様にも感じた。

ここで初めて、誰かに自分の事を喋って認めてもらえる事がこんなにも人を変えるんだと思った。そして、人を認めるというのにはパワーも必要である事、慣れが必要である事をインターンで学んでいる。

私の参画しているインターンでは、プログラミングやものづくりを中高生に教えるという仕事を任される。私は、こんな人を変えられる仕事に携わっていた事を、今知った。気付くのがすこし遅かった様にも思うが、幸いにもまだ一年以上ある。これから自分の経験も胸に中高生に向き合いたいと思った。

蛇足ではあるが、私はこのブログを高校の頃一番書いて記事を増やしていた。見返していると、やはり何処か自信なさげな影がチラついている様に感じた。大学に入ってから当時の事は忘れようとしていた事もあり、今はもう殆ど高校の空気感を思い出せない。しかし、記事はずっと残っているので何となくだが思い出に触れ直す事ができる。つくづく、日記って思い出を記すには適切なツールなんだと思う。

自信を持てるという事は、今自分は恵まれた環境にあるという事。これが分かれば、自分も人に自信を持たせる側に立つ事も、可能性を広げる側になる事も可能であるという事。もう忘れない様に。

久々になにか書こうか思ったけれど、何も思いつかなかった。脈絡のない日々を過ごしているんだと真っ白な編集ページを見て思う。確かに就活だとか、研究室だとか、そういうのは忙しかったりしていいと思う。けど、なにかまた別の刺激というか、そういうものが足りない気がする。
映画とか、そういうの。たまには見ても良いんじゃないかなって思う。